Text by UU
その8「伊集院典子VS鴨志田(諸岡竪雄特集)」
さて、今回は、古き奇譚クラブにおいて、活躍した格闘M作家、諸岡竪雄の特集を
お届けします。
諸岡竪雄は1970年から、1973年までの短い期間に性風俗誌「奇譚クラブ」
において、「当代女武勇列伝」というタイトルで、様々な女性(特に柔道女性が多い)
の武勇伝を紹介し続けました。
当の本人の妻、諸岡恵子も柔道の有段者、ということで、彼女に夫婦喧嘩で叩きの
めされ、屈服させられたのが、彼のM趣味の始まりであった、と、記されています。
諸岡本人は、新聞記者である、という自分の職業を明らかにしており、その関係で
知り合った多くの女性達の武勇伝を、時には彼女の口を借りて、切々と記しています。
恐らくは、彼が新聞記者である、ということに偽りはないものと思われます。その文
章は、特に感動もなく、取り乱す様もなく、ただ本当に、その場で起こったことを、
ごく正確に認(したた)めている、という感じの文体になっています。
彼は、「これから実際の戦(いくさ)などで、女武者に組み伏せられた男達の、様
や口上なども、順次ご紹介して行きましょう」などと、前振りをしておきながら、突
然、奇譚クラブから姿を消しています。ひょっとすると、その職業を正確に書いたこ
とが、何か問題を巻き起こしたのかも知れません。残念なことでは、ありました・・。
さて、柔道女性が今以上に貴重だった頃、当時まだ「柔術」の名残が残っていた古
き名門の道場で研鑽を積んだ女性たちにとって、学生柔道しか知らない男など敵では
ありませんでした。そんな一節を、ご紹介します。
伊集院典子、という女性柔道家が主人公です。
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しかし二年の秋、柔道部の鴨志田(副将でした)から挑戦され、いやとはいえず受
けて立つことになりました。私がうかつに、「学生柔道なんて甘いものよ」と女友だ
ちにしゃべったことから、柔道部の連中が怒ってしまったのです。
挑戦をうけたとき、私はもちろん小河原先生にご相談いたしました。
「何事も経験です。やってごらんなさい。しかし投げ技はすてて、寝技に持ち込む
のですよ。いまの高校生にはあなたの寝技からは逃げ切れないでしょう」(中略)
さて対決のその日、私は先生に教えられた通り、相手の力にさからわず、相手が引
けばそれについて進み、押せばそれについて後退しました。鴨志田は力にまかせて幾
度か私を振回わし、満場を沸かせました。見物のクラスメートは「伊集院危し」と思
ったかも知れませんが、これは予定の作戦。力の空回りで疲れたところを見計らい、
小技で倒して寝技に持込むことを考えていたのです。でも、振回わされますと、どう
してもこちらの姿勢が崩れますし、姿勢が崩れますと、とたんに相手から技がかかっ
て参ります。そのため二、三度私の身体が宙に浮き、そのたびに男学生側からわあッ
という歓声が挙りましたが、素早く技を返して逃れるとこんどは女学生の声援です。
審判は柔道部の主将だった三年生の志賀でしたが、鴨志田がいつまでたっても、
「技あり」もとれず、それに息づかいも次第に荒くなってきたのにいらいらしていた
ようです。
(中略)それでも最後にかけてきた払腰で、私は尻餅をついてしまい、志賀は待っ
てましたとばかり「技あり」を宣しました。が、そのとき鴨志田の右足が大きく一歩
踏み込まれていたのを見逃す私ではございません。「とッ」と低く叫びざま横になり
ながら足払いをかけたのです。柔道着の裾がまくれ上り、股の付け根までが見えたの
ではないかと思われるほど、私の足は跳躍し、そして強烈に刈り倒したのでした。
寝技らしい寝技をならったことのない学生柔道家にとってこれは意外な襲撃だった
のでしょう。文字どおりステンと畳の上に仰向けに倒れてしまいました。待望の寝技
に持込むチャンスがついに到来したのです。間髪を入れず私は彼の大きな身体の上に
馬乗りに跨り、首を抱え込んで絞め技に入りました。
わあッという歓声です。きゃあきゃあというのはもちろん女子学生。「伊集院さん、
すてき!」と嘆声をあげるのもいれば、景気よく「落としちゃえ、落としちゃえ」と
声援するものもいました。
(中略)彼は下から突き上げるようにし、足をばたつかせ、腰を捻って跳ね返そう
としますが、その都度私は両脚で万力のように彼の胴体を絞め上げてやりました。こ
の馬乗責めの強烈さにさすがの彼も力尽きぐったりと伸びてしまいました。
「それまで」と宣した志賀の顔は、同僚がやられたためでしょうか、幾分青ざめてい
たようでした。級友たちは勝負のはじめから終りまでパチリ、パチリとカメラに収め
ていましたが、私が最後に鴨志田の身体を跨いだまま仁王立ちになり、はだけた胸の
襟を合せ、ほつれ髪を手でかき上げたとき、二、三人が「イカス」と叫んでパチリ、
パチリとやりました。さっそうと立ち上がった美女−あら御免遊ばせ。(中略)−の
両股の下に大男がぐったり伸びており、その対照がまこにカッコいいと、この写真は
いまでもみんなからほめられ、また私も内心大変得意でみなさまにお見せすることも
多いのです。
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続いては、チャッピーこと浦里晴子嬢の登場です。雑誌社の婦人記者だった彼女は
宴席において、元初段のMという三十五、六才の男と口論になり、その決着をつける
ために柔道の試合で勝負することになります。
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柔道着に身をかためた晴子とMとは、審判員の加代子に導かれて大広間の中央で対
座した。
「試合は一本勝負とします」加代子は大声に堂々とこう宣言した。「はじめ!」
(中略)「とッ!」低い声が晴子の口からもれた。進み寄ってきたMの片足を刈る
と同時に仰向けに倒したのである。小内刈りだ。しかしMとてもむかしとったキネズ
カだ。倒れた瞬間、身体を横にして逃げようとした。(中略)そこで彼女はMの顔の
上を跨ぐと、両手でその右手をつかみ、すばやく腕がらみに入ろうとした。(中略)
この態勢で手首か肘の関節を逆にとられてしまえば、Mの負けである。が、Mは右
腕をとられながらも、左で晴子の足を押し上げると身体をひねってうまく逃れた。
「待って!」(中略)
「かかれ、」両名がはだけた胸をあわせ、帯を締めなおすし終わると、加代子はそう
声をかけた。
戦斗はふたたび開始された。それまで時間にしてものの五分と経っていなかったが、
Mの呼吸は早くも乱れていた。(中略)これに反し、現役選手と同様に平素けいこに
励んでいる晴子はケロリとしたものだった。
(中略)試合はどうみても晴子が優勢だ。(中略)そこでMは焦った。組むや矢継
ぎ早に膝車で晴子をおびやかした。(中略)膝車で誘っておいて、早いこと彼得意の
払い腰を一本きめるつもりでいたのである。しかし彼の不覚は、この技にあまりにも
こだわりすぎたことだった。
何度目かの膝車で晴子の姿勢は崩れた。彼はしめたとばかり突差に腰を左に捻り、
「やッ」の掛声もろとも右腿で相手の右股を払い上げようとした。が、彼女はそれを
待っていたかのように、Mが、まさに身体をまわりこませようとするその瞬間をとら
えて、「えいっ」美事な体落しをかけた。彼の身体は大きく弧を描いて、畳の上に落
ちた。「それまで!」加代子の声が凛然とひびきわたった。
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なんてところで(笑)。メリケンと自称するパンチで不良や泥棒を撃退する諸岡の
幼なじみの話や、柔道三段合気道二段の腕前で亭主やその上司を翻弄する御子柴マリ
の話、竪雄をぎゅうぎゅう云わせる妻、恵子の話など、ともかく「当代女武勇列伝」
は、格闘Mにとって必見の作品と言えるでしょう。
>>読んでみたい人へ
やはり、「風俗資料館」へ行かれるのが一番の早道でしょう。MX3にHPのアド
レスがありますから、ご利用下さい。
諸岡の作品は、
奇譚クラブ 昭和35年9月号,「マゾ男よ嘆くことなかれ」
以下、「当代女武勇列伝」が、昭和36年2月号、 昭和36年4月号、
昭和36年8月号、昭和37年7月号、昭和37年10月号、昭和38年6月号、
昭和38年8月号、昭和38年12月号 に掲載されています。
その八は、「諸岡竪雄特集」でした。
(本文中敬称略)
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