13・女湯
十二歳までは、女湯に出入りしていたというと、羨ましがる男性は多いと思うのです。
しかし、そこが、ぼくの仕事場でした。楽しいというより、辛く苦しい思い出しか残って
いません。
*
当時のぼくは身体が小さくて、まるでガキでした。海水パンツ一丁ですと、小学校の低
学年にしか見えなかったのです。あばら骨が見えているような薄い胸でした。発毛もあり
ませんでした。小学校三年生の春から、天女湯の浴場の三助として働いていました。老若
の女客の背中を、何人、流してあげたことでしょうか。そのチップに助けられて、母子二
人で、かつがつ生活していたのです。現金をもらうのではありません。手首につけた脱衣
場のロッカーの鍵の番号を、番台に報告するのです。
もちろん、ぼくだけではありません。三助さんのサービスが、『天女楼』の売りだったの
です。
黒い褌一丁だけの、たくましい筋肉質の屈強な大人の男性達の姿が、女性の白い身体と
湯気の間に、ちらほらと見え隠れしていました。呼ばれると、全身洗いや、垢擦りという
作業にかかるのです。全国から力自慢の男たちを集めた精鋭部隊です。この時代に、男性
の職場は貴重でした。
気に入られると、大浴場から、それぞれのお部屋に一緒に帰っていきます。マッサージ
などのサービスをするようでした。チップも、はずんでもらえるようでした。
本当は、力がないと不可能な仕事でした。第三次性徴で、大人の男性の三倍になってい
る女体の、背中は、そこだけで壁一面のような広さがありました。タイルの床に座ってい
ても、ぼくでは肩までは手が届きません。寝てもらったりしました。無毛の肌色の鯨のよ
うでした。ようやく対応が可能でした。
親方は人間というものが、筋肉と骨格から出来ていることについて、いろいろと教えて
くれていました。ひとつひとつの筋肉を、適切な順番で揉み解してやると、女性も気持ち
が良いのだというのが、彼の意見でした。
第三次性徴は、特に中高生のような性徴の進行の過程では、女性の肉体に相当な負担を
与えているらしいのです。大学の体育学科を出た、エリートでもあったのです。
毎年夏には、天女中学校という学校の運動部が、林間合宿をします。大浴場全体が、百
人の巨大な女子中学生たちの身体で、物凄い騒ぎになってしまうのです。ぼくも三助さん
たちも大忙しです。少女たちの匂いだけでも、酔ったようになってしまいます。
ぼくが面白かったのは、女性のもっと身体の表面のことでした。軽石で擦ると、湯で柔
らかくなった肌から、垢が次から次へと黒い紐のように、小さな虫のように、あとからあ
とから湧いて出て来るのでした。あとからあとから。まあ、呆れるようでした。日頃から、
こんなに汚くしているのかと、最初は不思議に思えたものです。第三次性徴期の女たちの
新陳代謝が、男性よりもはるかに活発なのを知るのは、親方に聞いてからです。そんなに
力がいりません。垢擦りは、ぼくの得意技でした。全身を隅々まできれいにしてあげます。
生まれたての赤ちゃんのように、ピカピカの肌になります。
しかし、結局のところは、女湯のマスコットのような存在でした。力ではなくて、小さ
いということの、可愛らしさだけで置かせてもらっていたのです。母の顔で、働かせても
らっているようなものでした。早く大きくて強い大人に、なりたいと思っていました。
最初は、恥ずかしかったのです。が、裸体にも、いつしか平気になっていました。たい
ていは、ぼくにとっては、おばあさんのような連中であったからです。
よく湯煙の中に、大人の女性の巨大な胸が、白く浮かび上がっているのを、見ていまし
た。第三次性徴になると、みんなすごい巨乳なのです。年をとっても、垂れたり凋んでい
たりする人も、ほとんど見かけません。堂々と胸を張ってお互いに誇らかに見せびらかし
あっていました。肉のすいか畑でした。
下の股間も、何も隠しませんでした。黒いたわしが、湯気のなかに浮かんでいました。
形も大きさも、さまざまでした。円も、楕円形も、三角形も、菱形も、長方形もありまし
た。線のように細い人もいました。たまには、まったく生えてない人もいました。面白か
ったのです。
ぼくのすぐ脇で、股間の獰猛に繁茂している黒い陰毛に、白い泡を立てて、ごしごしと
洗っている、若い女性もいました。大人の女性たちは、ぼくの存在を、何も気にしていま
せんでした。
汚れた泡でいっぱいの洗い湯を、頭からかぶることも何回もありました。ぼくが、そこ
にいたことにも、気が付いていないようでした。石鹸水が喉に入って、咽せていると、始
めて、「あら、ごめんなさい」と、謝ってくれました。その時になって、初めて「あら可愛
いわね」という嬌声が上がるのでした。
そこで、背中を流しますかと言って断られることは、ほとんどありませんでした。いま、
洗ったばかりでもそうでした。ただし、泊まり客の部屋までついていくことは、ぼくだけ
は親方に厳しく禁止されていました。「おまえは、女湯みんなのマスコットだから」という
のが、その理由でした。チップが高いようなので、本当は行きたかったのです。
ぼくの存在を嫌がるのは、母に連れられて温泉に来ている、同世代の小学校ぐらいの小
さな女の子たちでした。ふんと軽蔑の眼で視られました。ぼくと視線があうと、お母さん
の身体の影に隠れたり、タオルで身体の前を急いで隠してしまいます。別にこっちだって、
視たくて視ているわけでもないのに。子どもは無料なので、三助をしてもチップももらえ
ません。
14・八月二十日 午後八時
八月二十日のその日、ちょっとした騒動がありました。男性の泊まり客が、旧館で面倒
を起こしたようなのです。ぼくも、三助の褌に旅館の屋号入りの袢纒を羽織っただけの、
半裸の親方たちの後について行きました。
「お客さん、困るんですがねえ。うちは、そういう旅館ではないんですよ」
親方が、部屋の戸口の前で、そう言っていました。彼は、大学のアマ・レスリングで全
国二位まで、行っていた人物でした。組んだ腕の太さは、熊並みでした。何事か説得して
いるようでした。
やがて中から、女中さんが出てきました。『天女楼』の名前の入った紺色の着物の襟元を
合わせています。髪がほづれて、顔に乱れていました。いたずらをされたのでしょうか。
旧館は、男性の身体に合わせて作られているので、第三次性徴を済ませている大人の女
性にとっては、きつい職場でした。まっすぐに立つことなどとてもできません。いつも中
腰で移動するしかないのです。女性の体重に耐えるように補強がなされていると言っても、
急な移動は厳禁されていました。
横に広い女中さんの着物の身体は、旧館の通路をいっぱいに塞いでいました。薄暗い照
明の天井に、届くほどの高さに浮かび上がった女中さんの顔は、母でした。目元の涙を、
指先で拭っていました。泣いていました。上気した母の白い顔は、紅潮していました。黒
髪に差された飾りが、怒った蟹の脚のように突き出ていました。胸元が大きくはだけてい
ました。白い乳房の片方が、乳首までべろんとのぞいていました。着物の下には、下着を
付けていないのです。
ぼくは、何だか視てはいけないものを視たような気がしていました。声も掛けられなか
ったのです。辛抱強い母が、女中という仕事は、嫌な客の要求も無下には断れないのと、
愚痴を零すことがたまにかありました。
その場所を、音もなくそっと離れていました。
後になって、親方が若い衆に「あの部屋の客人二人は、都会から来た、仁義も知らない
金持ちのぼっちゃん連中だ。ああいうのが、いちばん、あぶない。気を付けろ」と、廊下
で注意しているのを耳にしていました。
旅館の前の駐車場に、赤というよりは柿の実のような朱色の、男性用のスポーツカーが、
止まっていたのを目にしていました。あれに乗って来た、連中なのでしょうか。
15・八月二十一日 午後七時半
そんな事件があった、翌日の二十一日のことでした。六年生だけが夏休みでも、学校に
登校することになっていた日でした。校庭の掃除や、飼っている鶏や兎の世話。体育大会
の行事の準備等々。
帰りが、すっかり遅くなっていました。六時に校門を出て、七時半を回っていました。
まだ村までは三十分はかかるでしょう。
珍しく万梨阿と二人切りで、山道を歩いている時でした。
彼女はいつもと同じ。体操服にブルマーでした。ぼくも、上下ともに白い体操服でした。
大股に、すっすっと歩く万梨阿に歩調を合わせるために、自然に小走り状態になってい
ました。万梨阿が白い体操服の裾を外に出しているので、ブルマーのお尻は、下の方が紺
色に三角形になって、ちょっぴり覗いているだけでした。
「信平くん、『天女湯』で、三助の仕事しているよね?」
「うん」
ぼくは、何が聞かれているのか、わかっていませんでした。でも、真剣な声音であるこ
とが分かりました。
「あれ、やめなよ」
そう言うのです。
「あれ、あまりよくないよ。信平くんには、むいていないよ」
いつものように、静かな声でした。
ぼくは、ちょっと、むっとしていました。自分が小さくて、力がないからと、言われた
ような気がしていたのです。
あれは、たしかに、大の男の職場でした。元運動選手たちが、たくさんいました。親方
の筋肉も凄いのです。憧れていました。男性相撲の、関取だった男さえも、交じっている
のです。風呂で酔っ払って倒れた女客を、一人でかついで脱衣所まで運んだときには、び
っくりしてしまいました。
ぼくは、天女湯の可愛いマスコットと呼ばれていました。きれいな女性タレントの背中
を流す姿が、全国のテレビで、放送されたからでした。
ご指名があって、チップの収入も増えてきていました。人気のあるぼくに、万梨阿が、
やきもちを焼いているのだと判断しました。大きなお世話だと思って、黙っていました。
「ねえ、信平くん」
万梨阿が、ぼくを信ちゃんではなくて、こう呼ぶときは、真剣な時なのです。
「三助さんたちが、大浴場から部屋に呼ばれていくでしょ。それから、何をするかわかる?」
「マッサージだろ」
ぼくは、ぶすっとした声で応えました。親方が、ぼくの何をするのですか、という質問
に、笑いながら、まあ、マッサージのようなものだなと、応えたからです。ぼくも、本当
は何をしているのか、うすうすわかる年齢になっていました。
「それもあるわ。でも、それだけじゃないのよ」
万梨阿は、ぼくの正面に、両手を広げて立ちはだかっていました。
「あたしから、逃げてごらんなさい」
二人でおにごっこでも、するつもりなのでしょうか。こんな遅い時間に、何を考えてい
るのでしょう。女のすることは、わけがわかりませんでした。
山の夜は早いのです。もう、山の向こうに日が沈んでいました。西の空を赤く染めてい
た光も、薄らいでいました。山の端は、水色に明るいのです。が、空は頭の上にいくほど
に、紺色に暗くなっていました。もうすぐ、いちばん星の光が、夜の底に透けて見えてく
るでしょう。
万梨阿の顔の表情も薄暗くて、良く見えませんでした。ただ狐の眼が妙に光っていまし
た。
その体操服とブルマーの影絵になったすがたは、身体の線をくっきりと浮かび上がらせ
ていました。チェロのように腰がくびれた、女らしい体型をしていました。いつもよりも
高く、空にぐんぐんと、伸び上がって見えていました。少し恐くなってきました。
「何だよ。万梨阿」
そういって、あとずさりしていました。
「こないならば、こっちから行くからね」
ぼくは、一度、二度と、その長い手の下をくぐり抜けていました。それでも、何回目か
に、手首を万力のような力で捕まれていました。そのままで、ぐいっと空中に吊り上げら
れていきました。凄い力でした。ぼくのズック靴の爪先が、かろうじて地面につくか、つ
かないかになっていました。
「どう。信平くん。あたし、強いでしょ?」
そんな、ことは、前からわかっています。腕の付け根の関節が、肩から抜けそうに、痛
んでいました。
「離せよ。この怪力女」
ぱっと、手が離れていました。地面に尻餅をついて、転んでいました。
「そうでしょ。あたし、怪力なのよ。とても強いでしょ。でも、まだ、第三次性徴も始ま
っていない。ただの小さな女の子よ。それでも、こんなに力があるの。これって、どうい
うことかわかる?」
万梨阿が、屈み込んで来ました。ぼくの上を跨いでいました。立ち上がろうとする前に、
彼女の大きなブルマーのお尻が、ずんと落下してきました。大きな砂袋で、強打されたよ
うな衝撃がありました。
ぼくは、ぐえっと、潰されたひきがえるのような、おかしな声を出していたと思います。
息が出来ませんでした。
さらに、ぼくに全身の体重を、乗せるようにしてきたのです。ブルマーのお尻が、ぼく
の腹の上にありました。その巨大な臀部の肉の、ゴム鞠のような柔らかい触感と、内部の
腰骨の固さを同時に感じていました。ピンで、板のうえに止められた、昆虫になったよう
な気分でした。ぴくりとも動けません。
ランドセルが、ぼくの背中で潰れていました。肺の中の空気が、圧力のせいで、ぶしゅ
っと歯の間から吹き出していました。よく、肋骨が折れなかったものです。
「いい、一回しか言わないから、良く聞いてね。もし、うちの女客の中に、良くない人が
いて、信平君を、自分の部屋に誘い込んで、君に、こんなことをしたらどうする?昨日も
ね、一人の女中さんが、男性のお客さんにいたずらされそうになったんだって。でも、女
ならば、男ならば、なんとかなるものね。その逆は無理よ。抵抗できないでしょ。その人
に、いいようにおもちゃにされちゃうだけだよ。とんでもないことになるよ。だから、信
平くんは、あんな仕事をしていちゃ、だめなんだよ」
それから、彼女は、上半身を屈めてきました。体操服の下の盛り上がった胸の先端が、
ぼくの薄い胸に当たっていました。ブラジャーを付けているのが、分かりました。興奮し
ているのでしょう。万梨阿からは、汗ばんだ女子の身体の匂いと、校庭の土の香がしまし
た。
万梨阿は、ぼくの唇の上に、いきなり自分の唇を重ねて来たのです。万梨阿の唇の間か
ら漏れる熱い吐息が、ぼくの口腔を満たしていました。塩味がしました。涙の味でした。
万梨阿は、泣いていたのです。
無人の暗い山道で、ぼくたちは、どのくらい長い間、そうして身体を重ねていたのでし
ょうか。濃厚な体臭がしていました。
その時に、万梨阿がどのくらい本気であったのかは、いまにいたるも、わかりません。
女の子らしい、ほんの軽いいたずら気分、だったのではないでしょうか。それまで彼女に
好意を寄せられた記憶は、まったくありません。
でも、あそこで、ぼくたちの一生を変えるような、大事件が起こったのです。
ぼくたちは、いきなり車のヘッドライトに照らしだされていました。めったに車など通
らない時代です。道路の真ん中で、まぶしくて、目を細めて佇んでいました。クラクショ
ンが叩きつけるようにうるさく、何度も鳴らされていました。急ブレーキの派手な音がし
ました。
柿色の男性用の車でした。屋根のないスポーツカータイプです。珍しい車種でした。日
本全国に何台もないでしょう。あの、『天女楼』で、乱暴狼藉を働いて、お母さんを泣かせ
た、二人組の男たちでした。明かりのせいなのでしょうか。人間というよりは、お猿さん
に、そっくりな顔つきをしていました。
「ガキ、どかんかい!。ひき殺すぞ!」
運転席の男猿が、一喝していました。
万梨阿は、すっくりと立ち上がっていました。背中のランドセルが、がちゃりと鳴りま
した。
「信平くん、立って」
そう小声で呟いていました。
夜なのに、サングラスを掛けている猿が、助手席に座っていました。
「まあ、待てや!」
葉巻を燻らしていました。森のなかに、人工の葉が燃える、異臭が漂っていました。地
球の貴重な大気を、平気で汚染しているような奴らなのです。
「小学生のガキどもが、道路の真ん中で、いちゃいちゃしているとはな。天女温泉とは、
つくづく淫らな場所のようやな。小学生の女が、男のガキを犯してるんや。面白いな」
体操服の胸を張って、スポーツカーに対峙して、正面から向かっていました。ぼくを守
るように立っていました。万梨阿の後に立つぼくには、その脇の下から、柿色の車のヘッ
ドライトが、まぶしく見えていました。ぷんと汗の香がしました。横を視ると体操服の胸
元に、万梨阿の胸の影が黒く落ちていました。
「なかなか、良い身体つきを、しとるやないか?おい、ねえちゃん。おれたちが、相手を
してやるぜ。今夜は、たっぷりと、遊ぼうじゃねえか。天女温泉で、遊べなかった分。こ
こで、取り返して、帰るとしようぜ」
柿色の車が、不気味にごごごと唸りながら、動きだしていました。
「走るわよ」
万梨阿が、ぼくの手を取って走りだしていました。森の方に、逃げ込もうとしました。
しかし、進行方向に柿色のスポーツカーが、ぐわっと割り込んで来ました。谷の方に、逃
げるしかありません。ぼくは、足がもつれて転んでしまいました。
それから、万梨阿が、ぼくを両手に、すっと抱き上げたのです。「お姫さまだっこ」とい
う奴でした。胸に押し当てられていました。彼女の怪力を、本当に悟っていました。米の
俵のように、軽々と肩に担がれていました。
それから、万梨阿は、執拗に追い掛けてくるスポーツカーを相手に、山道を、十五分間
ぐらいは、逃げ惑っていたと思うのです。
万梨阿の、赤いランドセルと、紺色のブルマーのおいしそうなお尻が、車のヘッドライ
トの光に照らしだされていたでしょう。猿男たちの獣欲を、掻き立てていたでしょう。
ある種の男どもには、第三次性徴を開始しない、しかし、十分に女としては成熟した、
小学校高学年の少女の身体が、またとないご馳走として、珍重されるということを知るの
は、もっと先のことです。
その時には、クラクションをうるさく咆哮させながら、どこまでも追い掛けてくる自動
車が怪物のように、ただひたすらに恐ろしかったのです。ぼくの顔は、後を向いていまし
た。運転席で二匹の猿が、歯を剥き出して咆哮していました。
万梨阿の首筋に、必死にしがみついていました。しかし、もしかすると、本当の怪物は、
万梨阿の底知れぬ、体力の方だったのかもしれません。
彼女は、山道を十五分間、ぼくを抱いて走りながら、うっすらと汗を掻いただけでした。
息も切らしていませんでした。髪に葉が絡んでいました。
ぼくが、しがみつく彼女の首にも徐々に固い筋肉が、盛り上がってきていました。いつ
もは、白くてしなやかに長い首なのに。
脚もそうなのでしょう。万梨阿は、狐の皮をかぶった虎だったのです。スポーツカーは、
人間の形をした虎と、勝負していたのでした。
「コントラクション」という現象があるそうです。「収縮」と、訳せるそうです。保健体
育の時間に習いました。
第三次性徴を目前にした少女の筋肉の細胞は、きたるべき大規模な成長という爆発の準
備のために、力を臨界状態にまで収縮したような、物凄い潜在能力を秘めている状態にな
っているそうです。
普通は、女の子たちも恥ずかしいのです。全力を見せることはないのです。ぼくが、怪
力女と嘲った時にも、万梨阿としては手加減して、遊んでいただけなのです。
今の万梨阿は、その全能力を顕にしていたのでした。狐は虎に変身していました。全身
にバンプ・アップした筋肉が、盛り上がっていました。生きている鋼鉄の鎧をまとってい
るようなものでした。ブルマーも体操服も、筋肉の圧力にぷちぷちと音を立てながら、縫
い目の糸が綻びていました。つぎつぎと切断していきました。
「そろそろね」
万梨阿は、適当なポイントが来るまで、相手を誘い込んでいたのです。釣りの要領と同
じでした。遊んでいたのは、彼女の方かも知れません。ぼくが、虹鮎を釣るときと、そっ
くり同じでした。
彼女は、さらにスピードを上げていました。両脚の筋肉が、機械仕掛けの疲れを知らな
いロボットのように、躍動していました。車のライトに照らされているために、筋肉の凹
凸が、くっきりとした陰影となって見えていました。
山の大気が、ぼくと万梨阿の周囲で、囂々とうなりをあげていました。
全力疾走をしながら、直角にカーブを曲がったのです。人間の筋肉ではありえないよう
な、ロボットのような制動でした。
猿の運転手には、フロントガラスの視界から、ぼくたちが一瞬にして消えたように見え
たのでしょう。
「あっ、このアマ!」
猿男の怒声がしました。
ぶおん。
スポーツカーの高性能のエンジンも、本気でうなりを上げました。アクセルを踏み込ん
だのだと思います。
そのまま、突っ込んで来ました。
しかし、そこは、ぼくたちの通学路の中でも、もっとも急カーブの難所でした。
ガードレールも、昔はあったのです。
万梨阿が、用意周到に誘い込んだその場所だけは、以前の度重なる事故で、壊れた部分
が、修理されていなかったのです。
赤いスポーツカーは、まるで、前の事故車の怨念に吸い込まれたように、暗い谷底に消
えて行きました。
二匹の猿の凄い悲鳴がしていました。
それから爆発音。
暗闇に火花。湧き上がる白い煙。
万梨阿は、谷底を覗き込んでいました。
「やったあ!」
小躍りしていたのを覚えています。
16・八月二十一日 深夜
ぼくは、気を失っていたのだと思うのです。気が付くと万梨阿とぼくは、山の中の草地
の上に寝転がっていました。彼女の熱い唇を唇に感じていました。興奮しているようでし
た。万梨阿の体臭が、いつもよりも濃厚にしました。
「助かったのかな」
「ああお(そうよ)」
万梨阿が、言いました。
「えお、ああおおええお(でも、動いちゃ駄目よ)
発音がおかしかったのです。でも、ぎらぎらした目の光から、意味は分かりました。人
間の言葉ではなくて、獣の言葉でした。
「あたし、身体がうずいて、もう我慢できないの。信平くんをいただくわね」
ぼくの舌が、万梨阿の深い口の中に、吸い込まれていました。凄い吸引力でした。根元
から、引き抜かれるかと思うような痛みがありました。
第三次性徴が始まると、性ホルモンが大量に分泌されるために、女の子の中には性衝動
が爆発して、欲望が我慢できなくなる場合があると言います。
万梨阿は、「コントラクション」していた細胞の力を、極限まで解放してしまったのです。
理性の歯止めが、効かなくなっているのでしょう。
顔の筋肉は笑っているようにも、泣いているようにも見えました。そこさえも、硬化し
ているのです。引き攣っているのでした。瞳は大きく見開かれているままでした。狐は、
人間の顔に戻れなくなっていました。
口からは、涎を垂れ流しにしていました。ぼくの顔に、ぽたぽたと落ちていました。昔
話の鬼に食われる人間のような心境でした。
それでも、いいと思いました。
万梨阿には、命を助けられたのです。身体ぐらい何でしょうか?素直に差し出すつもり
でした。だいたい抵抗しても無意味でしょう。
第三次性徴世界の男の子たちは、いつかは、この日の来ることを知っていて、心の底で
は準備しているものなのです。
異常な情況ではありました。が、一つしかない童貞を上げるのが、あの多佳子ではなく
て、本当に良かったと思っていました。
万梨阿は、ぼくの上で、ブルマーの腰をあげていました。両手の肘と両膝を地面につい
て、自分の巨大な体重を支えていました。四つんばいになっていました。ぼくは、女の子
の手足という四本の柱のある、檻の中に入っているような気分でした。
屋根は、女の子の汗の染みた体操服の、熱い身体でした。はあっはあっと、荒い息をつ
いていました。スポーツカーとのレースでも、呼吸が乱れることはなかったのに。
息と体臭の匂いを、ぼくも深呼吸していました。男を掻き立てるフェロモンが、大量に
含まれているようでした。
ぼくは、自分の股間が、男としての変化をしていくのを、自覚していました。止めるこ
とができませんでした。
万梨阿のブルマーからのびた、鋼鉄のような内腿の筋肉に触れないようにと、足を動か
しました。しかし、そんなに固い物体なのに、神経の敏感な万梨阿には気が付かれていま
した。
彼女の大きな手が、ぼくの固くなった器官の上に置かれていました。手のぬくもりが感
じられました。
「ほらね。信平くんは、もう大人なんだ」
彼女は、そう言ったのです。口のまわりの筋肉が、固くなっているので言葉になってい
ませんでしたが、意味は分かりました。
ゆっくりと。ぼく自身を、上下に撫でさすっていました。
ぼくも、万梨阿の体操服の突き出た胸に、手を当てていました。びっくりするほどに熱
かったのです。筋肉に酸素が大量に送り込まれて、燃えているのでしょう。
彼女は、拒みませんでした。
固い乳房を、思いっきり揉んでやっていました。声に出して反応していました。
大胸筋が、ぼくの手の触れたところから柔らかくなっているような気がしました。乳首
も、汗の染みた体操服の上から口に含んでやると、異常な固さが溶解していきました。狐
は一部だけですが、人間の身体に戻っていました。
そうなのかなと思いました。自信が出てきました。
親方に徹底的にしこまれた、三助としての知識と経験を使っていました。万梨阿の固く
「コントラクション」した身体を、揉み解してやっていました。
頭部から始めました。咀嚼筋と表情筋の、二つの種類の筋肉を双方伴に、慰めてやりま
した。
口の周りの、口輪筋。ものを食べる時の咬筋。
頚部の、つまり、喉の広頭筋。胸鎖乳突筋。僧帽筋。万梨阿は、口が閉じられるように
なってきていました。
顔の鼻根筋。眼輪筋。側頭筋。前頭筋。頭の後の後頭筋を撫でてやっていました。
「万梨阿、もう大丈夫だよ」
彼女は、瞳を閉じられるようになっていました。その目から涙が溢れていました。彼女
も、本当は恐かったのでしょう。
「こわくないよ」
肩から背中まで撫でてやりました。
肩の三角筋。それから、腕の上腕二頭筋。
上腕筋の力瘤。腕換骨筋。複雑な手の筋肉。右と左。彼女の長い腕が、しなやかに、ぼ
くを抱いてくれていました。
胸部の筋肉。背部の筋肉。脇腹の広背筋。前鋸筋。外腹斜筋。腹直筋。鼠径靭帯。錐体
筋。指と手のひらで念入りに。
もうこの時には、万梨阿も喘いでいました。
ブルマーのお尻の大臀筋。ぼくの手の力だけでも、限界まで使役されて痛んだ布が解れ
て、はらりと腰の左右に落ちていきました。
走りに走った脚。大腿四頭筋。脚の裏側の大内転筋。半腱様筋。半膜様筋。
薄筋。大腿二頭筋。腓腹筋。踵骨筋。
全身の筋肉と骨を、三助の手練の手で、マッサージしてやっていました。万梨阿は、溶
けていました。
「ああん」
人間の女の子の声が、喉から迸るように漏れ出ていました。万梨阿は、小さいとは言い
ませんでした。ぼくの挿入を、黙って受け入れてくれていました。
痛みを堪えて、端正な顔が歪んでいました。柔らかくて温泉のように暖かい、膣の筋肉
に挟まれていました。そこだけは固い、ぼくの筋肉でできた一匹の虹鮎が、跳ねていまし
た。それに合わせて、腰を動かしていました。湯は、万梨阿の温泉から滾々と溢れて、谷
間を滴っていました。
やがて。
ぐん。
あたりが来ました。
跳躍しながら魚は、口からぴゅぴゅっと、水を吐いていました。初めての意識的な精通
でした。
ぼくは、万梨阿という大魚を釣ったのでした。
17・八月二十八日 夜
一週間程してからのことです。母に『天女楼』での三助の仕事を止めたいと、申し出て
いました。母は、大きくて黒い瞳で、ぼくの顔を、しばらく見下ろしていました。それか
ら、にっこりと笑って、「いいよ」とだけ応えてくれました。
「最近、『天女楼』も、景気が良くなって、お給金が上がってきたからね。信平の稼ぎに頼
らなくても、なんとかなりそうだよ」
そう言いました。この頃から、母はぼくの進学のために、貯金をしてくれていたのです。
18・八月三十一日 夏の終わり
ぼくは母の返事を、山の中に湧き出る、秘密の源泉の『多佳子湯』に、万梨阿と二人だ
けで浸かりながら、つかえつかえ話しました。彼女は、とても喜んでくれました。ぼくの
元気な虹鮎を一匹、お口に含みながら嬉しそうに笑ってくれました。
「コントラクション」した肉体を、長時間そのままにしておくと、筋肉の力で、内臓を
やられることがあるそうです。大事にいたるところを、ぼくは、間一髪で食い止めたので
した。第三次性徴期の専門の医師から見ても、正しい処置を、ぼくはきちんとしたのでし
た。
お互いに、命を救ったのです。
乳房の暖かくて深い谷間には、ぼくの手作りの、緑ガラスの宝石のペンダントが、光っ
ていました。
彼女の身長は、この十日間だけで、めきめきと三センチメートルも延びていました。
「背骨の延びる音がうるさくて、夜中に目が覚めちゃうのよ」
万梨阿は笑っていました。三日で一センチメートルです。第三次性徴が、開始されてい
ました。彼女は、ぼくの筋肉マッサージが、とても気に入っていました。一日に一回は、
一時間ぐらい全身を、丁寧に揉ませるのでした。お礼よと、ぼくを、お口とあそこで、入
念にマッサージしてくれました。男女平等というのが、万梨阿の信条でした。
木漏れ日が、彼女の聡明そうな額の上で、きらきらと、きらめていました。ぼくの真珠
が、彼女の顔と、光を透かすと茶色に見えるほどに細い髪の毛に、鏤められていたからで
す。額に張りついた髪の毛を、指先で梳って、そっと上げていました。頭のよさそうな目
元が、笑っていました。こんな美少女が、ちびで臆病のぼくを好いてくれているなんて、
嘘のようです。兎が狐を騙したのでしょうか。
ぼくと万梨阿の説得で、多佳子は元湯の権利を、しぶしぶと譲渡してくれました。『多佳
子湯』は、『信平湯』に名前を戻していました。
19・また何度目かの夏休みに
それから、長い時が経ちました。狐の万梨阿は『天女楼』の若女将として、忙しく働い
ています。母も女中頭として、すべての采配を任せられています。都会の大学を卒業し、
最初の結婚に失敗した狸の多佳子も、帰村してからは真面目に勤めています。
何も変化していないようでもあり、すべてが変化したような気もします。
兎のぼくは、万梨阿の夫として、女湯の親方として、三助の荒くれた男どもを、取り仕
切っています。男としては、結構、巨漢になりました。学生時代は、村から出て、都会の
水で過ごしていたのが、良かったのかもしれません。
体育大学の学生の頃には、フリースタイルの男子レスリング部門で、男性のオリンピッ
ク大会にも、日本代表選手として出場したことがあります。
褌一丁になって、女客の巨大な背中を流しています。万梨阿も、何もいいません。これ
は、ぼくの大人としての、立派な仕事であるからです。
『天女楼』では、男性が女性の個室に入ってのサービスは、廃止されていました。そう
いう旅館は、大駐車場のある「下湯」にいろいろと出来ました。
20・昔ばなし
ぼくは深夜の女湯で、一日の仕事を終えて、おしゃべりしながら並んで髪を洗う万梨阿
と多佳子の大きな背中を、交互に流してやることがあります。
昔ばなしは、こうして終わるべきでしょう。
それから、兎と狐と狸は、いつまでも、しあわせにくらしました、とさ。
新・第三次性徴世界シリーズ・10
温泉宿の巻 了
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