1・SUMO道場
ジェイソン牝田は、目の下に青い隈を作っていた。悩みがあると、そういう顔になる。
その顔が、ホラー映画で、二十二世紀に入ってリメイクされた『十三日の金曜日』の主人
公である殺人鬼ジェイソンのように恐い。ジェイソンのあだ名の原因だった。下唇を噛ん
でいる彼女の表情は、たしかに鬼気迫るものだった。女子SUMO部で、随一の長身であ
る。大女そろいの部でも、身長が四メートルを軽く越えるのは、今のところ彼女だけだっ
た。立っているだけでも、広告塔のように目立った。
相撲は、二十一世紀まで、日本の国技であった。世界のスポーツの中でも珍しい、女人
禁制の伝統を死守していた。しかし、女性のあらゆるスポーツの分野への進出があった。
いわば寄り倒しにあった格好だった。他のすべての柱が倒れた後で、相撲だけが立ってい
ることは、スポーツ界に孤立していることは、不可能だった。相撲も男女平等の世界とな
った。名前もSUMO(すもう)と改変された。世界に飛躍していった。当然のことなが
ら、相撲の力士も女子で独占されていった。どんな大男であっても、第三次性徴によって、
男性に数倍する巨大な肉体を手に入れた、女達の敵ではなかった。今では、男性の相撲は、
各学校のクラブ活動と、地方の神社などへの奉納の行事として、細々と命脈を保っている
のに、過ぎなかった。
ジェイソンは、そんな昔話を、SUMO部の顧問の、岩端垂水(いわばしたるみ)先生
に教えてもらったのだった。彼は帝都大学時代に、東京帝都六大学対抗の男子相撲で、団
体優勝の経験のある人だった。技術的には、学ぶべきところがあるけれども、考え方にや
や旧弊のところがあった。
たとえば、SUMOのまわしの色は、もう何年も前から、選択が個人の自由になってい
た。この学校に導入されてから、まだ一年にしかならない。今でこそ、花柄や、水玉や、
可愛いキャラクターで、色とりどりの鮮やかさだったが、それまでは黒一色であった。そ
れから、SUMOであっても女子は当然、おしゃれをしたい。剥出しの乳首に、さまざま
な色をプリントするというファッションも、昨年に至ってようやく認められた。昨年は地
区大会で、個人と団体の総合優勝をするという偉業をなしとげた。先輩たちが実力で勝ち
取った権利だった。ジェイソンとしては、素晴らしい伝統を、自分の時代で終わらせたく
はなかった。彼女も、口紅と、まわしと、乳首の色を、紫で統一している。手と足の爪も
同色だった。血と汗と涙の成果だった。
三年生の先輩達は高校受験のために、夏期大会の優勝を花道に引退していた。特に五頭
田先輩は、この地区の中学生SUMO大会で、個人優勝という偉業を成し遂げていた。逸
材だった。もう一人の安寿田先輩も、卓越した技量の持ち主だった。一度、組みつくと、
彼女の体重は、だんだんと重くなっていく。はたで見ていると何も分からない。対戦して
みて初めて分かる凄味があった。SUMO界の妖怪として、恐れられていた。団体戦の優
勝は、安寿田先輩の貢献を抜きにしては、考えられなかった。他にも優れた先輩がたくさ
んいた。みんなが部活を卒業していった。
現役の二年生も、それなりに才能に恵まれている。二メートル九十センチと小兵だが、
すばやい足さばきと、意志の強さで対戦成績を上昇させているマリッペがいた。妖怪安寿
田先輩への対抗意識から、めきめきと力を上げてきたヨッシーもいる。
そうそう、マリッペやヨッシーというような、カタカナのあだ名をそのままに醜名にし
て良いという権利も、天女中学では去年からだった。国技のSUMOの関取りにも、ブラ
ッディ・マリーとか、スーパー・ウーマンというような英語名まである。それなのに、岩
端顧問の頭蓋骨の固さは、鋼鉄のヘルメットのようだった。
それなりに、まだまだ力はある。今年度は、何とかなるだろう。しかし、来年の夏期休
暇以降は、どうだろうか。駕篭山と辻井のコンビは、成長していた。特に、辻井は、大食
いぞろいのSUMO部でも、大食を誇っていた。このごろ、腹が膨大に膨らんできた。あ
んこ型の体型になってきた。骨格も、がっしりとしてきた。つい、この間まで、マリッペ
と同じぐらいの背丈だったことを考えると、その変化は頼もしい。しかし、後の新入生四
名は、どうもぱっとしない。それぞれの個性が出てこない。今までと比較すると、小粒で
あることは、否定できなかった。彼女たちも、今までと同じように、岩端先生が全国の小
学校の六年生のSUMOの選手の中から、将来が有望視できるものを、選抜したものたち
である。しかし、先生の逸材を見抜く眼力も、どうも曇ってきたような気がしている。
たとえば、隣の中学のアレレ松の浦関である。彼女こそ、五頭田先輩に優るとも劣らな
い逸材だった。オーラがあるのだった。何物も恐れない明るい土俵こそ、天性のものだっ
た。アレレ松の浦関こそが、この天女中学に入ってくるべきだったのだ。ジェイソンでも、
それぐらいはすぐにわかった。しかし、そうはならなかった。天女中学の連覇に立ち塞が
る、強敵になることだろう。
天女中学の黄金時代を見て、それを憧れてきた大勢の少女たちで、現在は二つの組に別
れている。ジェイソンの率いる朝組と、阿倍野を事実上のリーダーとする、夜組だった。
野球部の一軍、二軍というような力量の区別ではない。あちらにも、北海道でひぐまと格
闘した阿倍野とか、やはり北海道の農場で、牛と格闘し、他流試合によって力を強めてき
た石狩川がいる。分けた理由は、単純に五十名以上の部員が、一度にSUMO部の部室で、
練習ができないためだった。
もし男子相撲部(SUMOですらない)が、その場所を明け渡してくれれば、土俵が三
面取れる。飛躍的に、練習効率がアップするはずだった。だいたい小さな男子生徒が、足
元で、ちょろちょろしていると、踏み潰さないかと気が気ではない。危険でもある。それ
になんといっても、女の子は、男の子の視線が気掛かりなのだ。SUMOに集中しようと
して、本気の取り組みをしようとしても、どうしても男子の視線が気に掛かる。マリッペ
の真剣な突進を受けとめているヨッシーには、脇で練習している男子生徒のことが、気に
なって仕方がないという様子だった。いくら小さなマリッペでも、彼らの倍はある。そち
らに投げると、下手をすれば怪我をさせてしまうだろう。ためらっているのが、はっきり
とわかった。
そういうわけで、ジェイソンは下唇を、強く噛んでいたのだった。
*
顧問の岩端にも、リーダーの牝田の焦りは伝わっていた。彼はぐるりを、二年生に取り
囲まれていた。女相撲の格闘家の大女達に、包囲されていた。たかが、十三、四歳の少女
達だった。みんな、小学校にいる内に、その才能に惚れ込んでスカウトして来た連中だっ
た。第三次性徴の始まらない頃までは、泣くまで投げ飛ばしてやった。そのせいで、ここ
まで強く大きくなれたのである。彼が育てた子どもたちだった。それなのに、少しぐらい、
自分よりも身体がでかくなったからといって、金玉が縮み上がるようなことがあっていい
ものだろうか。
肉色の壁は、彼を周囲から圧迫するようにして、徐々に包囲網を狭めていたのだった。
牝田、駕篭田、辻井、マリッペ、ヨッシーの主力五名だった。牝田とヨッシーは身長四メ
ートルを越える。駕篭田と辻井は、身長では二人にやや遅れを取っているものの、横幅で
は負けていなかった。マリッペだけが、三メートル以下で、やや小柄だった。それでも彼
の倍に近かったが。
小学生の可愛い少女たちに、綿でいっぱいの、肌色の着ぐるみを着せたようなものだっ
た。人工のハイブリッド飼料を与えられたブロイラーのように、ぶくぶくと膨らんでいた。
人造皮膚と区別が付かないだけのことだった。体格に比して、顔が極端に小さく見えると
いうこともある。真下から見上げる態勢になっているせいだった。ガスタンクのような腹。
二つ並んだスイカのような乳房。その間から見下ろす顔。小さくて冷ややかだ。もし遠く
から全身を見れば、まだ幼さの残る可愛らしい顔立ちの少女達なのだが……。
しかし、今は、剥出しの乳房の下で、電信柱のように太い腕を、突き出た腹の上で組ん
でいた。威圧感があった。腹の間で窒息しそうだった。
ついに、ジェイソン牝田が口を開いた。何を言うのか分かっていた。言ってくれるなと
思ったが、願いは虚しいようだった。
「岩端先生は、いつもSUMOは真剣勝負だと、おっしゃっていますよねえ?」
「ああ」
「本番で勝たなきゃ、いくら練習しても、何の意味もないとも」
「ああ」
この畳み掛けるような口調が、ジェイソン牝田調なのだった。
「女を捨てなければ、SUMOには勝てない。勝負師になれとも」
「ああ」
「わたしたち、女を捨てています。彼氏もいません。恋人ができたら、即、退部でしたも
のね。それで、止めさせられていった、先輩もいます。いつも、練習。練習。練習です。
そして。試合。試合。試合です」
「わかってるさ」
「わかっていません!!!」
牝田は激しく否定していた。美少女は、怒りに満ちた釣り上がった眼差しで、岩端を見
下ろしていた。凄絶なまでに美しい顔をしていた。体格にふさわしい声量は、彼の耳の鼓
膜を突き刺すような音量だった。
「わたしは、一人のSUMOの勝負師として。女SUMO部のリーダーとして。男子相撲
部のリーダーに挑戦します」
彼女の握り締めた拳骨は、わなわなと震えていた。
「条件は、なんだ?」
岩端は、牝田の堪忍袋の緒が、もう少しで切れそうなことがわかっていた。この大女の
暴力が爆発すれば、彼は惨めな敗北を、確実に味わうことだろう。しかし、牝田は、驚嘆
すべき自制心を発揮した。
「わたしが勝ったならば、男子相撲部には、このSUMO道場から、出ていってもらいま
す。わたしが負ければ、女子SUMO部全員が出ていきます」
岩端は、そこで格闘家としての目で愛弟子を見た。つまり、もし自分がこいつと戦うと
して、勝てるかと思ったのだ。ジェイソン牝田は、彼の眼前に両脚を開いて、両手を乳房
の下で組んでいた。乳首は、まわしと同じ紫色だった。乳輪も同じ色に染めていた。その
骨格。その筋肉。その脂肪。その運動神経。勝てなかった。とても無理だった。負けると
思った。その時だ。彼の一物は、固いまわしの中で、小さく縮み上がったのである。負け
犬の尻尾のようだった。それが、彼に致命的な答えを、出させてしまった原因だった。
「いいだろう。やってみろ。答えは、試合の結果を見てからだ」
口調そのものは、あくまでも落ち着いていたはずだ。青二才の中学生の少女たちに、本
心の怯えを読まれたはずはなかった。少女達は、大きなグローブほどもある二つの手のひ
らを打ち鳴らした。駕篭田と辻井に至っては、大きな歓声を上げて騒いでいた。お互いの
乳首を引っ張って、遊んでいるのだった。もう勝利を確信しているのだった。
2・ドラゴン北城
象乃鼻(ぞうのはな)が、岩端先生の指名を受けて緊張しているのが、マネージャーの
ドラゴン北城にも分かっていた。ついに、来るべき時が来たかと思っているのだろう。彼
の心が痛い程にわかった。
北城は、トレードマークの白いスーツに、黒いサングラスで、あくまでもダンディを気
取る男だった。細面で黙って立っていれば、なかなかの美形である。
象乃鼻関は、大砲、夕潮、千世之藤らとともに、天女中学校男子相撲部の、四天王と言
われた男である。父親がSUMOファンであったせいで、物ごころついたときには、相撲
を取らされていたそうだ。兄と二人で、天才少年と持てはやされた時代もある。その兄は
相撲に、はやくに見切りをつけて、レスリングの世界で活躍している。賢明だったかもし
れない。あの世界も格闘技として、女性の注目を集めてはいる。が、女子SUMO界のよ
うに、今、それほどに女子生徒に人気のあるスポーツではない。象乃鼻関のように、男子
と女子生徒との対戦の機会など、まずないだろう。
象乃鼻関は、仲間を相手に黙々とぶつかり稽古を始めていた。土俵の端にいて、突進を
鉄壁の守りで食い止める横綱相撲だった。その後で、手加減なく同級生を投げ飛ばしてい
た。横綱が緊張しているのは、肌が紅潮していることから北城にはわかった。日頃から無
口な少年だった。感情を表に出すことは、ほとんどなかった。それも、男には珍しい女々
しい態度に思えた。
北城は、高校から大学まで岩端と同級生であった。男子相撲のファンでもあった。彼が
中学校の体育教師として、天女中学校に就職した十年前から、マネージメントの腕を見込
まれて、この仕事についていた。依頼されたのである。対外的な交渉とスケジュールの調
整は、彼に一任されていた。大学生時代は、岩端の念友であった。二つ返事で、彼の赴任
した中学校の女子SUMO部のマネージャーになった。
北城は、男子相撲部こそが、岩端の真の目的であると聞かされていた。全国から集めた
精鋭の男子を鍛えながら、寮で合宿生活をしいてる。寝食を共にしていた。女子SUMO
部は、これを作るための準備に過ぎなかったとまで言っていた。それが先年に、個人と団
体の双方を制覇した。念願の全国優勝を成し遂げた。十年間は、長い道だった。女子SU
MOでは、無名の中学校に優れた人材を集めるのは、容易ではなかったのだ。
北城は、女子相撲部への母姉会の応援のための寄付金を、上手に流用した。男子相撲部
専用の、相撲道場を作るための予算を確保した。来春には、完成する予定である。だから、
別に来年度には、古い道場を女子SUMO部専用に明け渡してなんら差し支えない。岩端
が、なぜ象乃鼻関には、屈辱的な体験になるかもしれない、ジェイソン牝田との対戦を了
承したのか、真意が分からなかった。負けるに決まっている戦いだった。いくら贔屓目に
見ても、万に一つの勝ち目もなかった。
現在は、象乃鼻関の付き人をしている。一メートル六十センチの彼には、一メートル八
十五センチの関取は、申し分のない巨漢である。このように大きな男は、天女中学にも何
人もいない。成人男子にも何人もいない。男が男の肉体に惚れていた。
トイレでは、関取の巨根を持たされる。名誉ある役目を彼だけが、許されている。象乃
鼻関の一年生の弟子は何人もいる。が、そんな重要な仕事を任されているものは、他に一
人もいない。男子トイレの汚れたタイルの床に、白いズボンで膝まづいて大きな肉棒を、
両手で捧げ持っている。最初の時に、用を済ませた関取が、一言「舐めろ」といった。そ
の顔の表情は、腹部のでっぱりの影になって見えなかった。十四歳の中学生の男子が、三
十代の男に命令してきたのだった。北城の正体は、少年に的確に見通されていた。北城は、
嬉々としてその指示に従った。小便のアンモニアの臭いが、先端に付着して残っていた。
が、気にもしなかった。関取が、自分の感情をわかっていてくれたことが、何よりも嬉し
かった。涙が頬を伝わって幾筋も流れた。
ジェイソン牝田は、小兵のマリッペを相手にして、足元からの攻撃に対応するような練
習に余念がなかった。巨大な全身が柔らかくなるように、馴らし運転を開始していた。流
れる汗が、肌の表面をコーティングしていた。生きている鋼鉄製の巨大ロボットのような、
てらてらとした質感を与えていた。
強敵である。男子も女子も練習のメニューは、岩端が考案したものを、使用している。
いわば、お互いの手は知悉している。奇襲に効果はないだろう。力と体格で、圧倒的に劣
性の横綱に勝機はあるだろうか。象乃鼻関には男子との間には、現在五十三戦無敗の、栄
光の成績がある。
それを賭けての試合だった。男子相撲部と、女子のSUMO部は、同じSUMO道場の
中で練習をしている。名目上は、対等の関係にあった。しかし、現実は、平等とは程遠い。
女子の土俵が、大きく中央に二つある。男子は、道場の隅の方を、間借りしているような
状況だった。仕方がないのかもしれなかった。単純に部員の数でも、男子が十名に満たな
いのに、女子は五十名を越えている。体格の相違を勘案すれば、その比率は、一対十以上
にはなるだろう。
北城にとって、物凄いのは、彼女たちの着替えの光景である。更衣室はある。が狭いの
で、その使用は二年生の関取連中だけに限られている。それ以下は、何の遠慮もなく堂々
と、セーラー服の制服を脱いで道場の中で全裸になっていく。まわしを巻いていく。上半
身の乳房は、ぼろんと剥き出しである。全員が巨乳である。ゆっさゆっさ。ぼいんぼいん。
揺らしながら歩き回っている。べちゃくちゃと、おしゃべりをしている。
北城の観察では、彼女たちは、お互いの乳房を得意そうに見せびらかしたあっているの
だった。その大きさや形や色合いやを話題にしている。品評にいそしんでいた。
彼の私見だが、SUMOにこれほどの人気があるのは、乳房を見せられるからではない
かと思った。彼女たちは、堂々とした巨大な乳房を、見せびらかしたくて仕方がないのだ。
レスリングも、新体操もレオタードだ。これほどに堂々と、露出することはできないのだ
った。肌を解放できる割合の高い種目の方が、女子生徒に人気が高いような気がする。
男子は、隅で壁の方を向いてこそこそと着替える。腰にバスタオルを巻いている。女子
が見てもいないのにだ。ちょっと雄雄しい行為なのではないだろうか。北城自身は、白い
スーツを脱ぐ勇気はもとよりない。がりがりの枯れ枝のような、やせっぽちの身体である
からだ。劣等感がある。の象乃鼻関の膨大な肉体を賛仰するのだった。
たしかに女子SUMO部は、敵である。けれども、マネージャとして象乃鼻関の隣に控
えながら、彼女たちの肉体を鑑賞しているのは、楽しかった。たとえば、辻井だった。あ
の乳房と腹部の丸く張り出した体型は、古代人の作った土の人形とそっくりだった。豊穣
と多産を祈願する女神の姿と同じなのだ。 「太古、女性は女神であった」と喝破したの
は、だれであっただろうか。女性の身体は男性よりも、皮下脂肪を貯えやすいようにでき
ている。出産と母乳による育児に耐えるためである。豊満こそ女性のDNAの本質なのだ。
北城は、二十世紀までの「旧世界」の大衆文化研究会にも入っている。そこで見る小さ
な女性の写真は、グロテスクなまでに痩せている。時代の美の基準であったからだ。おか
しなことをしていたものだ。自然に反している。だれも不思議に思わなかったのだろうか。
体重と体型を保つために、若い女性は断食をしていたということだ。無理だからだ。反自
然だからだ。
女子SUMO部を見ていると、女性が本来の姿を取り戻して、自由にのびのびとしてい
るのがわかる。DNAが、自己実現する女性という性の特質は、太るということによって、
それに内在していた美を完全に開花させているのだった。朝組の二年生には、特に美人が
多かったから、北城はその感を深めていた。
男子相撲部の関取連中は例外だった。男性は薄い胸と、子どもを生まないために骨盤が
狭い。小さな尻を特徴とする。駕篭山や辻井のあんこ型の体型は、その対極にあった。北
城は、ふと気が付いていた。象乃鼻関が、あれほどに美しいのは、女性に似ているからだ。
不思議なことだった。
3・ちゃんこ鍋
夕食の時間が来た。巨大な鉄鍋が、一年生たち、四人によって運びこまれて来た。さっ
きまで練習の血と汗と涙と吸い込んでいた土間に、簡易な移動用の竃が設営される。象乃
鼻関とジェイソン牝田との対戦は、その後になる。
練習が終了した後での、ちゃんこ鍋を囲んだ夕食の席が、北城は大好きである。親睦の
ために、全員で飯を食う。岩端の指導法の根幹にあった。同じ釜の飯を食ったものは、そ
れだけで仲間になれる。北城は小食だった。男子の中で、いちばん食うのが象乃鼻関であ
った。
大きな鍋の中で、大量の肉と野菜が、ぐつぐつといい匂いをさせて煮えている。レシピ
は、岩端先生が作り上げた味が、厳格に守られている。たちまちの内に、彼女たちの膨大
な容積を誇る胃袋に飲み込まれて、つぎつぎと消えていくのだった。
少女たちの厚い脂肪の層に守られた、消化器の内部で消化されていく。明日の血と肉に
なっていく。女子の肉体は。栄養が充満していくのにつれて、さらに脂肪と筋肉でむくり
むくりと、はりきれそうになっていた。SUMO部に入ると大女になれる。それも、人気
の秘密だった。彼女たちは、成長そのものを楽しんでいた。第三次性徴の渦中にある彼女
たちの身体は、見ている前で、めりめりと音を立てながら大きくなっていくような気がす
る。数日、合わないでいると、明らかに身長が延びているのだった。大きくなることが、
楽しくて仕方のない世代だった。「何センチのびた?」というのは、ごく普通の日常のあい
さつになっていた。
食事の光景は、彼の薄い血を燃えさせる壮観だった。狩猟採集民であった太古の血が、
呼び覚まされるような気がした。
熱いものを食っている。彼女たちの肌は、汗ばんでいた。鍋からは、もうもうと旨そう
な湯気が大量にあがっている。それにもまして、女子の体臭が、濃厚に空気中に立ち篭め
ていた。屋外の空気も残暑である。二十五度Cを越えていた。が、室内の温度計は、三十
五度Cを軽くオーヴァーしていた。もうすぐ体温と同じ温度になる。少女たちの半裸の肉
体の表面から発散される、汗と体温のためだった。練習中はさらに上昇する。マネージャ
ーとして椅子に座っていても、北城は気が遠くなるような気分になる時があった。湿式の
サウナに
入っている気分だった。
野獣の住む、洞窟に入り込んだような獰猛な感じだった。環境ホルモンとガイア隕石の
衝突によって、地球の生態系は大きく変化していた。牛も豚も雌は巨大化した。人間は、
バイオレクノロジーの技術によって、体外受精の技術を可能にしていた。だから、女性の
法外な食欲に対しても、肉の供給は足りている。
もしガイアのような大災害によって、食料の供給が絶えたとする。腹をすかせた彼女た
ちは、どんな行動に出るだろうか。北城は、妄想する時があった。いちばんてじかにある
多量で入手しやすい肉は、人間の男のそれだ。彼女たちは、人間の男を狩るのではないだ
ろうか。
ガイア隕石が衝突した、大西洋沿岸の諸国は、あれから長い間、二十年近くに渡って、
暗黒時代にあった。人口は激減していた。その時に何があったのか。誰にも分からない。
何も言わない。
ただ環太平洋諸国合同の女性調査隊は、『第三次性徴世界』の瞳のきらきらと輝く血色の
良い元気な女性たちと、未開の状態に戻ってジャングルに隠れ住むおどおどとした男性た
ちを、発見したのだった。何がおこってもおかしくはなかった。
自分や男子相撲部が、あの大鍋の中でぐつぐつと煮られて食べられる光景を、夢想して
いた。男子生徒ならば、五、六人は簡単に湯浴みができそうな大鍋だった。
同時に、北城は、なぜあれほどに岩端が、男子たるものは強くあれと力説しているのは、
分かるような気がした。
男もその日のために、生き残る力を付けておかなければならないだ。相撲というような
肉弾戦でなくてもよい。北城などには、それは無理な話だった。ただ武器を扱うにしても、
体力は必要だった。巨大女達に対抗するためには、象も一発で打ち倒せるような、大口径
のライフル銃が、自由自在に扱えなければならない。発射の反動で、肩の骨を打ち砕かれ
いては、もう一巻の終わりだった。無反動の銃もあるが、いつも理想的な武器が入手でき
るとは限らない。
ミリタリー・マニアである北城の夢想は、どこまでも暴走していった。戦車で、逃げ惑
う女子SUMO部の少女たちを砲撃しながら、狩っていく自分を空想していた。爽快な気
分になれるだろう。
ああ、そうなのかと思った。
岩端は、その日のために、象乃鼻関に、強くなってもらいたいのではないだろうか。今
日の勝敗などどうでも良いのだ。それに負けて出ていけば、まだ女子SUMO部にも発表
していない、男子相撲部の、最新鋭の運動設備やシャワーを完備した専用道場への移転の
言い訳もつく。一石二鳥だった。
はっと、われに返った。象乃鼻関がお代わりをよそうように、彼に求めて来たのだった。
今日の料理当番の一年生の女子のところにいった。
「お代わりちょうだい」
「いいわよ、ドラゴン」
大盛りにしてくれた。
「いつも、おりこんさんね」
十三歳の少女に、ポマードで固くした頭をなでてもらった。ドラゴン北城は、素直に嬉
しかった。女子SUMO部のペットでもあった。踊るようなステップで、男子相撲部の席
に戻った。笑いが起こっていた。北城も意識していないが、女子が強力に支配する世界で、
か弱い男子が生き残る道は、道化でもいいのだ。彼女たちのペットとして、愛玩物になる
ことだった。駕篭田と辻井などは隙があると、彼をその巨大な胸に抱き締めてくれるのだ
った。男の生き延びる道のひとつを、彼なりに正直に突き進んでいたのだった。
北城には、女子の醜名に違和感があった。「マリッペ」とか「ヨッシー」というカタカナ
のあだ名が、そのままで土俵での名前になっている。「ウッピョン」とか「アレレ」のよう
な、わけのわからないものまであった。可愛いのだが、何か違うような気がした。まわし
も、男子が黒一色の地味なものなのに、女子SUMO部は、色とりどりで華やかである。
ジェイソン牝田は、紫で統一していた。マリッペとヨッシーは目立つように花柄である。
マリッペがカーネーションで、ヨッシーが薔薇だった。駕篭山と辻井は仲が良いので、お
そろいでピンクと黄色の水玉である。一年生でも、きらきらとしたパールカラーのものが
いた。日本女子SUMO協会の公認のルールだから仕方がない。岩端先生は、数年間にわ
たって抵抗はしたが、とうとう昨年の全国優勝を機に、天女中学校SUMO部にも導入さ
せられてしまった。女性のSUMOには、乳房への張り手の禁止や、ちょんまげを結わな
いので髪を握ってはならないというような、新たなSUMOの禁じ手もある。
北城には、なんだかジェイソンの気持ちが、わかる気がしている。男子相撲部に対して
無理な要求だとは思う。が、怒りはなかった。いつかは女子SUMO部が、このような要
求をしてくると思っていたからだった。三年生があまりにも偉大であったのだ。二年生の
部長としての責任が、彼女の白い怒り肩には、ずっしりと重く伸し掛かっていた。
4・象乃鼻
ジェイソン牝田と象乃鼻との世紀の一戦は、夕食後に三十分の休憩時間を挟んで、厳粛
に公平に実行されることとなった。岩端が、じきじきに行司をする。
中学生の女SUMOの土俵の直径は、男子のそれの正確に二倍ある。これが高校性以上
になると三倍になった。体格に合わせるためだった。牝田は、どちらでも良いという。象
乃鼻は、女性用の方を取った。広い空間に、勝機を見いだそうとしていた。
男性用では、牝田の身長が軽くその直径を上回ってしまう。長い両手両脚は、彼の頭上
を天蓋のように、覆い隠してしまうだろう。活路はどこにも見いだせなかった。
天女中学校では、象乃鼻が東、牝田が西の正横綱だった。塩を五メートルの上空からき
らきらと撒いている牝田の後には、女子SUMO部の朝組全員が、整列して着席していた。
正面には二年生のマリッペとヨッシー、駕篭田と辻井がいた。いずれ劣らぬ八個の巨乳を、
八百屋の前のスイカのように並べていた。肉色の厚い壁を作っていた。胸の下で太い腕を
組んで、大きなあぐらをかいていた。巨大な体重をのせて、ひしゃげた太腿とふくらはぎ
が、動かないのにすさまじい迫力だった。みんなの顔には、余裕の笑みが浮かんでいた。
駕篭田と辻井は、お互いの乳房をくすぐり合っていた。牝田が負けることなどありえない
と、思っているのだった。その背後に、四人の一年生が小さくなっていた。まだ第三次性
徴にはいって間もなかった。
象乃鼻の背後には、男子相撲部の面々がいる。二年生の夕潮、大砲、千代之藤の四天王
がいた。一年生がその後にならび、マネージャー兼彼の付き人の北城の白いスーツ姿が、
忠実な白い犬のように控えていた。
女性用の広大な土俵の中央には、行事の正装をした岩端先生が、すでに黙然と立ってい
た。腰の懐剣に目がいった。本身である。もし差し違えたら、自害するという覚悟で、持
っているのだという話だった。
先生の背中には、神棚がある。「南無八幡大菩薩」の紙のお札が飾ってある。青森から、
天女中学校に入学するために上京する前の日に、父親が買ってくれたものだった。もう二
年間同じ位置にある。日の当たる方向の半分が、黄色く陽に焼けている。象乃鼻は、心の
中でそれを拝んでいた。
ジェイソン牝田は、土俵に重心を低くしていた。それでも、直立した彼よりも。視線が
やや下にくるだけだった。彼の前に、紫の蜘蛛の化物のようにそびえていた。長い手足は、
四方八方のどの方向からでも、彼を攻撃することができた。彼女の周囲には、目に見えな
い蜘蛛の巣が、張り巡らされていた。そこに入ってくる獲物の血を吸おうと待ち構えてい
た。女郎蜘蛛の罠の中に、入っていくような気がした。乳房は、二つの椰子の実のように、
ずっしりと重く垂れていた。長身なので、目立たないがグラマーなのだった。
最初の張り手は、右が左か。象乃鼻は、それだけに意識を集中していた。それを掻い潜
って、昨年から痛めている右の膝を攻撃すれば、勝算はあった。卑怯だとは思っていない。
圧倒的な、体格差というハンディキャップを背負っているのは、自分の方だった。勝つた
めには、何でもするつもりだった。
彼は腰を落として、身体を低くすると、右手の手の甲で、一回だけ土俵をばんと叩いた。
前に出た。つられて、ジェイソン牝田の身体も泳いだ。右手が前に流れていた。
よし右だ。象乃鼻は、心に決めた。それが癖で、自分の尻を、腰骨にバネがついたよう
に、上下に反動をつけて数回揺らしていた。立ち合いのスピードにすべてが掛っていた。
ジェイソンの瞳が、自分を見下ろしていた。もう目尻が、釣り上がってはいない。半眼
の静かな目だった。それが逆に不気味だった。集中しているのだった。牝田の巨大な肺活
量が可能とする、大きくて深い呼吸のリズムを感じていた。彼女の乾いた口の中に匂いが
した。
制限時間は、いっぱいだった。
「待ったなし」
岩端先生の、厳しい声が静寂を切り裂いた。
「はっけよい。のこった」
象乃鼻は立ち上がっていた。
*
勝負は、一瞬でついた。妖怪安寿田の後継者である殺人鬼牝田。気合い充分の、長い長
い、張り手一発。ロケット弾のように炸裂した。左だった。象乃鼻の巨体を、空中高くに
跳ね飛ばしていた。まわしを組むことも、秘密の作戦を実行することもできなかった。少
女に嫌われた哀れな子犬のように、宙を飛んでいた。鼻血が赤い糸となって、細い筋を引
いて空中を流れた。
仲間の大砲、夕潮、千世之藤の四天王が、固唾を飲んで見守っている桟敷席に、弾丸の
ように突きささっていた。一メートル八十センチ、百五十キログラムの巨体との衝突だっ
た。その時の衝撃で、北城も脳震盪を起こして失神していた。辻井が、冗談で牝田にいっ
たという「浴びせ倒し、一度に五人抜き!!」という、男子相撲部全員にとっての屈辱的
な発言も、象乃鼻は他の四天王とともに、まったく聞かなくて済んだのだった。
新・第三次性徴世界シリーズ・7
天女中学校女子SUMOの巻 了
笛地静恵
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